ミノリガタリ

1億円貯めて自給自足生活を目指すオッサンの闘いの記録

私が見た熊本地震①~前震~

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※写真は本震が起きた日の昼頃に撮った葬儀場の写真です。ブルーシートがかけられている部分にあった建造部分がポッキリやられています。

 

今回の熊本地震が起きた4月14日、私は上司とゴルフの練習場にいました。

 

揺れが起きたとき、私は

「わー、揺れてるー」

とのんきに立っていたのですが、阪神大震災を経験していた上司に怖い顔で引っ張られて、柱にしがみつかされました。

 

揺れが収まるまでおっさん二人で抱き合うようにして柱にしがみついていたのですが、木造の部分が多いゴルフ練習場はしなりが大きく、

「あ、これつぶれるな。」

と思いましたが、何とか持ちこたえました。

16日の「本震」とやらでその練習場がどうなったかはわかりませんが・・・

 

揺れが収まった後、またものんきにたたずんでいた私は上司に引っ張られて外へ。

 

余震が続く中、すでにゴルフの練習を再開していたおじさん方にはあきれを通り越して尊敬の念を抱きました。

 

その後、上司は家族の様子を見るために自宅へ。

 

一人取り残された私は余震が怖くて自宅マンションには帰れず、練習場の駐車場で待機していました。

一人でいることがあれほど心細かった時間はないです。

 

しばらく駐車場で待機したあと、上司とそのご家族と合流。

近くの保育園の駐車場で車中泊にて夜を明かしましたが、車だとサスペンションの影響で揺れが増幅されるため、余震の度に目が覚め結局満足に眠れたのは1時間ほどでした。

 

車の中ではとにかくラジオとワンセグ、インターネットでの情報収集に必死でした。

営業車が大きな車だったこと、iPhoneの充電器を積んでいた奇跡に感謝しました。

 

そんなこんなで夜が明けてから、得意先の課長と連絡が取れたのでお互いの様子を報告するために上司と一緒に得意先へ。

 

他にもサラリーマンらしき人が町を歩いていました。

日本のサラリーマンすげー。

 

このときの熊本市内は道路が一部損壊しているといっても大きな混乱はなく、夕方ごろにはほぼいつもの平日、といった感じでした。

 

・・・今思うと、この時点でみんな「本震」は終わったと思って油断してたんでしょうね。そもそも「前震」なんて言葉、初めて聞きましたし。

 

得意先との安否確認、自分たちの事務所と倉庫の被害調査を終えた昼頃には、みんなで出前を取って談笑するぐらいの余裕がありました。

 

被害の大きかった益城町の復興にはどれぐらいの時間が必要だろうか、なんて話もしていました。

 

その日は結局、一通りの被害調査を行い通常の退社時刻に退社しました。

 

その時はまさか、これから長い避難生活が始まるとは思ってもいませんでした・・・

 

②に続きます。