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ミノリガタリ

農薬販売員が農薬の是非について真剣に考えたりするブログ

私が見た熊本地震③~本震後避難生活~

自分へ

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※4/16午後の時点での避難所の配給所にて。これからどうなるのか、不安で仕方なかった。

 

16日朝、ほとんど眠ることができませんでしたが、日が出てくると幾分か不安感は和らぎました。

 

余震の隙を縫って自宅マンションの様子を見に行きましたが、写真を見ても当初の気持ちはあまり思い出せません。

 

マンションの上層階だったため、エレベーターが止まっていたのがとても不便だったことだけはよく覚えています。

 

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前震後に片づけたのが全くの無駄に・・・

 

揺れが長かったためか、前震の時よりもひどい状態でした。

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マンションのエントランスもこんな感じ。

 

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バスタブに水をためてみましたが、見たこともない色の水が出てきて、最終的には止まってしまいました。

 

どうやら、上階に水を送るためのポンプが故障してしまったようでした。

ちなみにこれ、本震前に溜めておいてバスタブいっぱいにしておいたのですが、本震の揺れで半分以上こぼれて脱衣所が水浸しになっていました。 

 

家にいても何もできないし、何より余震が怖かったので必要と思われる食糧、水、着替え、盗難の恐れのある通帳と実印を持って再び避難所へ。

 

避難所では食糧の配給が1度だけ行われていましたが、不安感と長い待ち時間のせいでみんながイライラしていました。

 

また残念なことに、一人で大量の食糧を抱え込むおばちゃんやお年寄りを見るだけでいたたまれなくなったので、それ以後は食糧の配給に並ぶのをやめました。

 

日本人は災害時でもお互いに助け合える精神を持っていると海外で評価されているらしいですが、必ずしもそうじゃないという現実を目の当たりにして、正直ショックを受けました。

 

やっぱり都合の悪いことは報道されないんですね・・・

 

食糧や水は自宅から持ってきた分と、上司や先輩、ご近所さんたちとお互いにシェアして乗り切りました。

 

配給を独り占めしようとする人たちを見た後だったので、助け合える人と一緒にいたことがすごくありがたかったです。

 

その後3日間車中泊にて避難生活を過ごしました。

とても長く感じた3日間でした。

 

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避難先の中学校のグラウンドは車と椅子でいっぱい。

この後さらに車が入ってきて、グラウンドから車を出すのが困難な状態にまでなっていました。

 

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4/17の土曜日、被災地の天気は雨。

結構本格的に降ってました。

 

もうそれはそれは不安で仕方なかったです。

うちの近くは崩れるような斜面はないものの、数年前に氾濫した大きな川があり、

「堤防が崩れた」

などの情報(結局デマだった)もあり、気が気ではありませんでした。

 

あと、なんというか精神的なものなんですが、本当に被害が酷く孤立していた益城町や南阿蘇の方々に対して、同じ被災地にいるのに何もできない無力感と申し訳なさが心を占めていました。

 

この後、雨の合間を見計らって福岡に避難したのですが、その時も

「自分たちだけ逃げる」

という感覚が付きまとっていました。

 

頭では、

「ここにいても何もできないし、物資などの面から言っても避難できる人間は避難したほうが良い」

ということはわかっていたんですが・・・

 

こういう感覚は、良くも悪くもすごく日本人らしい感覚なんだなと思います。

いわゆる「村意識」というものではないでしょうか?

 

この後ろめたさを

「会社の命令だから・・・」

という言い訳で振り切って、避難生活4日目に福岡に避難することができました。

 

避難してきた福岡の平和ぶりに、理不尽に怒りが込み上げてきたのがショックでした。

ほとんど被害がなかったら、平和にいつも通りの生活を送るのは当然なんですけどね。

 

とにもかくにも無事に逃げ出せてよかったです。

 

まだ終わりません。

その④に続きます。