「武士道とは死ぬことと見つけたり」は嘘?!新渡戸稲造の「武士道」にはそんな事書いてない
生きるのと死ぬの、どっちがつらい?
学生の頃に読んだ時には、いまいちよくわからなかった「武士道」の考え方。
ここ最近、生きる意味とか理由とかを考えててふと思い至ったのが武士道。
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
とは、あまりにも有名な一節ですが、これは佐賀藩の「葉隠」という書物に記された一節で、武士道全体の一解釈に過ぎません。
仏教やキリスト教、イスラム教などの宗教に様々な解釈があって、様々な宗派に分かれてしまっているのと同じです。
武士道と言っても、地域や時代によって様々な捉えたかがあったのです。
ではなぜ、佐賀藩という一地域の書物の一節がこれ程有名になっているのか?
おそらく、武士道の事を全く知らない人にもわかりやすいからでしょう。
武士道の基本はざっくり言うと「易きに流されない」事です。
「武士道」を読んだ僕の解釈ですが…
敢えて困難な道を行く人を賞賛し、武士はそれを名誉と考えていました。
普通なら生き延びたいけど、誰かのため何かのために敢えて腹を切ってみせる。
この部分だけ見れば、確かに
「武士道とは死ぬことと見つけたり」
と言うことになります。
しかし、何のためでもなくただ生きる苦しみから逃れるためや、しょうもない理由で死ぬ場合は「犬死」として軽蔑されていたそうです。
なので、生きるのがつらくて死んだ方がマシだと思うような時は
「武士道とは生きることと見つけたり」
と言ってもいいわけです。
これは生き死にの話だけじゃなくて、普段の生活でもつい楽をしてしまいそうな時にも同じことが言えます。
敢えて、つらい道を選ぶ。
その行為によって、武士は己の品格や徳を高めたようです。
日本人なら一度は読んでおきたい一冊ですね。