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ミノリガタリ

農薬販売員が農業・食・健康について考える

私が見た熊本地震②~本震~

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※棚から落ちて、きれいに本震が起きた時刻で止まった目覚まし時計。そういえば、まだ部屋に放置しています・・・

 

1日ぶりに帰った部屋は地震の被害でめちゃくちゃに・・・

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特にショックだったのは、学生時代から8年間に渡って私の生活を支えてくれていた電子ケトルが壊れてしまっていたこと。

 

怒る相手もいないから、ただただ落ち込むしかありませんでした。

 

夜にかけて何とか部屋の片づけを済ませましたが、水が止まっていたので近所の上司の家でお風呂を借りました。

 

そのとき近所に中学校があることを初めて知り、かつその中学校の武道場が避難所になっているとのことだったので、とりあえず今夜だけと思いその中学校へ。

 

子供の泣き声や、おばちゃんたちの世間話がやんでようやく眠りについた午前1時半ごろ、満を持しての「本震」。

 

強く、そして長い揺れで、正直言って武道場が潰れると思いました。

 

柱を頭にして寝ていたので、寝ながら柱を掴むので精一杯。

天井を見上げながら、

「ああ、ここで死ぬのかな。」

なんて考えながら、おばちゃんたちの悲鳴を聞いていました。

 

どうでもいいけど、なんでおばちゃんたちって意味もなくあんな甲高い声をあげるんでしょうか?

意味ない上に、さらに恐怖心を煽られるんでやめてほしいんですけど・・・

 

おばちゃんたちの悲鳴も揺れも収まっていませんでしたが、あまりにも揺れが長いので揺れが弱まったタイミングで上司のご家族と一緒に外に脱出。

 

武道場を出るときにボランティアの人に

「真ん中に誘導して!」

と言われながら懐中電灯を手渡されましたが、正直最初は何を言われているのか全く聞き取れないほど混乱していました。

 

足を震わせながらも他の人をグラウンドの中央に誘導して、家に戻っていた上司とも合流。

 

ようやく落ち着いたと思いきやすぐ近くの民家から火の手が。

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※朝見た民家。夜に火の手が上がったときは、おそらく全焼していると思うほど火の手が大きかった。

 

 

またもやおばちゃんの悲鳴やら、消防車のサイレンやらで阿鼻叫喚のパニック状態に突入。

ガスが止められていなかったようで、時折バン!という爆発音も聞こえてきて、大袈裟なのは承知の上で、この世の終わりかと思いました。

 

それでも消防車はちゃんと来てくれて、消火開始からわずか8分で消火完了していました。

水も出なかったのにどうやって消したのかはわかりませんが、消防に払う税金なら惜しくはないと思えました。

日本の消防隊すげー。

 

火も消えて人心地つくと、今度は急に肌寒さを感じました。

4月の九州とはいえ、夜の気温は10℃。

寝るときにかけていた毛布一枚ではとてもじゃないけれど、一夜は過ごせない。

 

かといって、その時点では余震もあり、何より精神的に

「屋根が怖い」

という状況だったので、私も含めてみんな屋内に入ろうとはしませんでした。

 

私と上司は避難所と家が近かったこともあり、余震の合間のわずかな隙をついて車を取りに行きました。

 

そのまま中学校のグラウンドに乗り入れて、寒さをしのぎましたが、毛布にくるまってグラウンドで夜を明かした方も多かったようです。

 

その日も断続的な余震はおさまらず、2日連続で眠れぬ夜を過ごしました。

おそらく2日間の睡眠時間はトータルで3時間前後だったと思います。

 

その③に続きます。