いじめられていた僕が自殺しなかった理由~誰にも相談できない君へ~
いじめは絶対になくならない
地元滋賀県大津市のいじめで中学生が亡くなった事件から5年が経ったそうです。
いじめ防止を義務化せよ!
との声が高まっているそうですが、いじめは絶対になくならないでしょう。
そもそも大人ですらいじめをしているというのに、どの面下げて子供たちに
「いじめをするな」
なんて言えるのか。
僕は小・中学校の時にいじめられていました。
仲間はずれ、無視、私物を隠される、集団で襲い掛かられて下半身を露出させられる等々、屈辱的な行為を数多く受けました。
10年以上経った今でも、このことは鮮明に思い出せますし、今でも人に対して異常におびえてしまうことがあります。
驚かれるかもしれませんが、いじめを行っていたのはヤンキーなどの素行の悪い人間ではなく、一般的にはさわやかとされる同じ野球部のスポーツ少年たちでした。
チームワーク?なにそれ?
まあ、僕にも問題はあったんでしょうけど、上のようないじめを受けるようないわれはありませんでした。
「いい子」だった僕は親にも相談できず、何度も自殺を考えました。
いじめられている子って親に隠しているとかじゃなくて、
「どう相談していいかわからない」
状態なんですよね。少なくとも僕はそうでした。
なんていうか融通が利かない。
そもそも融通が利くような人間ならいじめの対象にはならなかったでしょう。
そんな僕がなぜ今も生きているかというと理由は二つ。
ひとつはビビりだったから。
要は死ぬのが怖かったんです。
ホントビビりで助かりました。
臆病なのもたまには役に立つ。
もう一つは強烈な復讐心があったから。
何日もいじめが続いたある日
「このまま生きていてもたぶんいい事ないだろうし、こんな嫌な日が続くぐらいならもう死んでしまおう」
と思って、自宅マンションのベランダから身を乗り出しました。
確かマンションの11階。
下を見ながら
「俺が死んだら、俺をいじめてたやつらは後悔したりするのかな」
なんて考えながら、いじめていたやつらの顔を思い出していました。
しかし、どうしてもそいつらが後悔した顔を思い浮かべることができませんでした。
自分が死んでも、いじめていた連中は一時は後悔したり反省したりするかもしれませんが、残りの人生の大半を僕のことを忘れて生きていくのだろう。
そういう風に考えると、その時に飛び降りて死ぬのが悔しくなってきました。
どうせ死ぬ身なら、何年かかってもいいからそいつらを不幸のどん底に叩き落してやる。
自分が受けた苦しみの何倍もの苦しみを与えてやる。
そう思うことで、自殺を思いとどまることができました。
今は時間が経ったので、僕をいじめていた連中に対してはほとんど何の感情もありません。
ただ、中学生だったあの頃はいじめ相手に対して強烈な憎しみを感じることが、生き残るための唯一の正解だったと思っています。
良識のある大人なら、
「そんな風に思うのは良くないことだ」
と言うでしょう。
しかし、それは自殺を考えてしまうほどのいじめを受けた経験がない人間のきれいごとだと思います。
数年間だけ人を憎んで生き残れるなら、それでいいと思います。
心の正当防衛だと思います。
何年かしたら環境も変わって、憎しみも薄れていきます。
お行儀よく死ぬ必要はありません。
かっこ悪くても、醜くても、生き残って下さい。
今はそれでいいと思います。